妥協になってしまう
増田(はてなアノニマスダイアリーの略)みててアッと思った。
きっとこれは妥協ってなんだろうって話なのだ。
自分が共に生きたいと思う人に何を求めるのか、そしてそこに足りないものがあるとして、それでもその人を選ぶということを「妥協だ」と言うような人になりたくないな、と単純に思ったりした。
でもでも、でも、それってものすごく難しいことだとも思う。
自分はこんな自分の近くに来てくれた人に足りない部分をみつけると、なんだか落ち着いて、余裕ができて、そして少しさみしくて、それよりもほんのすこしだけやる気がでる。よし、この人ともっと仲良しになろう、と思う。こんな自分の近くまで来た人には、そう思う。
この増田は創作だ創作だと言われているけれど、もしこれが実話であるなら、この夫は「妥協しないと結婚は出来ないと思う」ではなくて「僕は悲しくて寂しい気持ちになっている」と伝えるべきじゃないだろうか。
話は変わるけど、よく「違和感を感じる」って言葉を対象への否定的な意味として使う人がいるけど、違和感を感じる場合は正すべきは自分の認識であることが少なくないと思ったりする昨今です。自分のことだもの、少しでもしっくりきたいですね。
あ、あとお久しぶりです。
毎日更新のつもりがバタバタと忙しくてだいぶとんじゃって、んでさかのぼって休んだ分だけ連投してやろうと思ったのに、もうちょっとそれめんどいなーってくらいまで間が空いちゃったんで、まぁ気にせず今日からぼちぼち更新しようと思います。うむうむ。
お仕事で忙しかったり、ダムに行ってダムカードもらったり、ヒッチハイカーの沖縄&ベルギーのカップルを乗せて100kmほど走ったり、macbook pro か mac mini か airmacなんたらーを買いたいなとおもって我慢したり(そして今週末あたりにかおうかと思ったり)そんな日々。よろしくです。